本の虫の本

本屋さんでの紙とインクの匂いに癒される本の虫の書評ブログ

『自己肯定感、持ってますか?』 水島広子 (大和出版)

「自己肯定感」を高めよう、というとき、よく言われるのは「自分の好きなところを見つけよう」などと、自分を中心としたアプローチです。でもこの本で勧められるいるのはその逆、つまり他人に目を向ける、「他人をリスペクト」してみるという手法です。ちょっと意外な気がします。どういうことなのでしょうか?

 

そもそも「自己肯定感」とは「ありのままの自分」をこれでよいと思える気持ちである、と、この本の著者は述べています。そしてこの気持ちが低いと様々な悪影響があるということです。その悪影響もして私自身が当てはまると感じたのは以下の通りです。

①他人に振り回されてしまう

→自分を中心に考えることができないので、相手の不規則な行動にそのまま振り回されてしまう。(例:話しかけられると、どのくらい続くのだろうとうんざり⇒話をどこでやめるかは相手が決めると思っている)

→自分を肯定していない人ほど、人に気持ちを読んでほしがることが多い。(例:夫は私の気持ちをわかってくれない)

 

②他人の言動に腹が立つ

→自分の意見について他人がどう思うかをピリピリ気にする⇒つねに自分が正しくなければ気がすまない人。(例:単なる他人のひとつの意見に過ぎないのに、それを「脅威」に感じてしまう)

 

そこでカギとなるのが、先ほど言及した「他人をリスペクトする」ことです。ここでいうリスペクトとは無条件のリスペクト、つまりその人がこれまで頑張って生きてきた、その存在をかけがえのないものとして尊重できる、そうした感覚だそうです。

 

これは決して、その人が何かに優れていてそこを探すとかそうしたことではないということです。それは条件付きのリスペクトとなってしまい、その人に何らかの評価を下してしまうことになります。そうした条件付きのリスペクトは、もしその何らかの優れたところが失われたなら、リスペクトできなくなってしまいます。また、その人に対してマイナスの評価さえ下してしまう危険すらあることになります。「評価を下すから、リスペクトできなくなる」というのは言い得て妙だと感じました。

 

そうしたいわゆる「評価」を手放すなら、「その人は最善を尽くして頑張っているのだ」という姿が見えてきます。もしできていない所が目に付いたとしても、それには何らかの事情があるのだろう、と捉えることができます。けっして「怠けている」などという評価を下すことはありません。その人のありのままを受け入れることができます。

 

ではこの「相手をリスペクトする」ことと「自己肯定感が高まる」ことにはどんな関係があるのでしょうか?

 

相手へのリスペクトから感じ取れるのは「安全」と「温かさ」です。それは相手に伝わります。そうすると相手も心を開くようになり、またこちらも、相手の事情を決めつけるのではなく、「相手には何らかの事情があるのだな」という見方をすることにより、自分にとっても感情のデトックスになります。つまり、相手のことで不必要に気を揉まなくなるので、心に余裕ができ、結果的に「自己肯定感」が高まる、ということです。

 

このように「他人をリスペクト」するようになると今度は「自分をリスペクト」しやすくなるようです。これを著者は「リスペクトの空気を一緒に吸う」と表現しています。つまり、「〇〇さんもいろいろある中で頑張ってるな。私もいろいろあるけど、まあこれでいいよね」と、ダメな自分にも事情があることを認めやすくなります。つまり、自分に対するマイナスの「決めつけ」や「評価」をも手放しやすくなるということです。

 

そもそも私がこの「自己肯定感」で悩んだきっかけは「本当の自分を出せない」ことでした。きっと、自己肯定感が低いので、「作った自分」を演じていたのだと思います。でも著者によると、それは相手へのリスペクトどころか、相手をだましていることになると言います。また相手の「ありのままの自分を受け入れてくれる能力」をはじめから低く見積もっていることにもなると述べています。

 

そうした「作られた自分」を通して作られたつながりは「ニセのつながり」であり、ますます孤独感と自己肯定感低下が強まる原因だという指摘を読んだ時、心から何か痞えたものが取れたような気持ちになりました。

 

「本当のつながり」とは、お互いありのままを尊重できる間柄でいる、ということです。そこは安全な環境、自分に評価を下されない場所。決めつけられない場所です。

 

「決めつけ」と「リスペクト」は両立しない。このメッセージがこの本の随所から感じ取れました。相手にも自分にも評価を下さない、互いの事情を尊重しあう、自分の事情も同じように尊重する…そのようにして初めて、自己肯定感は育まれると、強く確信できた本でした。

 

『自分の小さな「箱」から脱出する方法 』アービンジャー・インスティチュート著 (大和書房)

〈トラブルを引き起こしている原因の正体とは?〉

 

私たちが抱える問題の多くは、人間関係に起因することが多いですが、とりわけ、「あの人に傷つけられたから…」「あの人のせいで…」とつい相手のせいにしてしまうことが多々あるのではないでしょうか?

この本は、トラブルの根本原因を作り出している発生源が、他ならぬ自分自身のものの見方であると指摘していて、それを「箱に入ること」になぞらえて説明しています。

よく、相手は変えられない、自分の見方を変えることが大切だと言われますが、この本を読んでみて、なぜそう言えるのかがよく理解できました。

加えて、相手がどう反応しようとそれを責めるのではく、むしろ自分が相手のためにできることをし、その努力を続けるよう促されました。

翻訳本なので少々読みにくい箇所もありましたが、内容はとても論理的で腑に落ちやすく、いかに自分独自のものの見方にはまり込んでいたか思い知らされました。でも、痛いところを突かれたというより、むしろ目の前がパッと開けて、あ、そうだったのか!という爽快感に近いものを感じました。この気持ちよさを一人でも多くの人に味わって欲しいです。

『いやな気分の整理学 論理療法のすすめ』岡野守也著 (NHK出版生活人新書)

〈落ち込みやすい性格も論理で直す⁉︎〉

ネガティヴな思考パターンや性格をなんとかしたい…誰もがそう願うと思いますが、ただポジティブに…!と自分に言い聞かせたり念じたりしても難しい…。

でもこの本は、よくない出来事と感情の間にはその出来事に対する受け止め方、考え方というものがあって、それが感情的な反応の違いを生み出している、と説明しています。

たとえば、すぐに落ち込む、腹を立てる、不安になるといった否定的な感情に至る手前の段階には、その出来事をどう考えるかという重要なポイントがある、ということです。

加えて、この「否定的な感情」は「健康な否定的感情」と「不健康な否定的感情」とに分けることができ、特に後者の「不健康な否定的感情」が現れた時に、自分の硬直した思考の歪みによって出来事の捉え方が間違っていないかどうか考えてみることを勧めています。

根拠のあまりない単なる「ポジティブシンキング」ではなく、論理的に考えて感情を上手にコントロールする方法を指し示している、とても納得しやすい内容でした。

何が「健康的な否定的感情」で、何が「不健康な否定的感情」にあたるのか…是非この本から確かめてみてください!

とても参考になりますよ。

『対人関係療法のプロが教える 誰と会っても疲れない「気づかい」のコツ』 水島広子著 (日本実業出版社)

〈気づかいにも二種類ある⁉︎〉

ここ最近、水島広子先生の本を読む機会がありました。この水島先生の著書には以前から助けられていました。対人関係療法の専門家です。心の平衡を保つための実際的なアドバイスが欲しい時には、この精神科医、水島先生の本がとても参考になります。まるで直接カウンセリングを受けているかのような錯覚を覚えるほどの効果があります。

この本もそのうちの一冊でした。誰でも気づかい上手になりたいと願いますが、この本では気づかいには、「元気になる気づかい」と「疲れるきづかい」の二種類あるとされています。

「気づかい」とは本来自然に流れ出るものですが、「疲れる気づかい」というのは、往々にして、相手から、また周りからどう思われるか、という不安がエネルギーになっているそうです。

一方、「元気になる気づかい」は、相手に安心を与えるものだそうです。そしてそうするためには、「自分の領域」と「相手の領域」をきちんと区別すること。つまり、「自分の領域」のことは当然自分にしか分からないように、「相手の領域」のことは相手にしか分からないことを認める、ということです。

どういうことかというと、いくらこちらが「相手の立場」に立って考えたとしても、それはあくまでも「自分が考える相手の立場」に過ぎない、という認識を持つことです。なので、こちらが良かれと思ってしたことが、時に相手にとっては「余計なお世話」になるのです。

「相手について知る」ことは、「相手の領域」に立ち入ることではなく、「相手の領域」について外から見て気づけることにきちんと気づく、ということ。その相手が立てている、いわば「標識」のようなものをキチンと見てあげるということです。

そのようにして「相手の領域」を尊重するならば、相手について「この人はこういう人だ」と、標識を無視した「決めつけ」を避けることができます。

この「決めつけ」というのは、本来分からないはずの「相手の領域」を侵害する行為です。でも、相手をありのまま受け入れる、つまりどんな事情があれ、その人なりに生きてきたという事実そのものを尊重できれば、それは「相手の領域」を尊重することにつながります。

このようにして、「自分の領域」と「相手の領域」を区別することをいつも念頭に置いていれば、相手に変化を強いるような、的はずれなアドバイスをすることを避けられますし、逆に「おせっかい」に思えるようなことを相手からされたとしても、(こういう「疲れる気づかい」をする人は「不安」が原動力になっているので)「お気づかいありがとうございます。大丈夫です」と相手を安心させ、なおかつ「自分の領域」を意識した流し方をすればよいということになります。

「元気な気づかい」の根底にあるのは「相手の領域」を尊重することにある、つまり相手をありのまま受け入れることがカギになってますので、安心を相手に与えることになります。誰でも否定されずにそのまま受け入れてもらえたら安心ですよね。

この本を通して「気づかい」について深く考えさせられました。私の場合、いつしか「周りからの評価」を気にしていることに気づいていましたので、特にこの点が心に刺さりました。そしてその原動力は「不安」。確かにその通りです…。心のベクトルが自分に向いてしまっていました。そうではなく、周りの一人一人をありのまま受け入れて「安心」を与えられる「元気な気づかい」ができるようでありたい、そんなことを教えられた一冊でした。